4月からエベレスト登頂の日本最年少記録に挑戦中だった、小平市在住の大学生・伊藤伴さん(19)。
さる4月25日に発生した、ネパール史上最大の死者(約8500人)を出した震災の時、彼は標高5300メートル付近にあるベースキャンプにいました。
地震発生時の現地の様子はどのような状況だったのでしょうか。そして下山し彼が見たものとは。
帰国した伊藤さんにインタビューしました。(以下談)
アタックを2日後に控えていたが…
エベレスト登頂に備え、約2週間かけ5300メートル地点にあるベースキャンプに到着したのが23日。その2日後、安全祈願やアタックの準備などをしていた25日、現地時間の午前11時56分に地震が起こりました。
1000メートル以上上方の6500メートル付近にある懸垂氷河(岩壁にへばりついてる氷)がはがれ落ち、『ゴゴゴーー』という音と共に雪崩れが起き、その爆風がベースキャンプにもやってきました。
周りのテントは吹き飛び、鉄骨や氷柱などが飛んできていたので、夢中で近くにあった崖の裏側に隠れました。30メートル横を爆風の本流が通り過ぎていきましたが、直撃していたら命はなかったと思います。実際にあのベースキャンプで20人ほど死者が出てしまいました。
その時撮影していた動画の中に、『どうしたらいいの? こわいよ! こわいよ!』と叫んでいる僕の姿が写っていますが、これは全く無意識で出た言葉です。何が起こっているか分からず、凄まじい恐怖でした。
数日間は進むこともできず、下山もできず、その場に留まりました。下山が決まったときは悔しい思いもありましたが……。
カトマンズでボランティア活動
気持ちの整理をした後は、通常より日にちをかけて下りました。この季節はネパールにとってトレッキング客が多い一番の稼ぎ時なんです。今後しばらくは客足が遠のくことが予想されるため、少しでも多くのロッジに泊まることが援助につながると思ったので。
5月7日に下山してからは15日まで首都のカトマンズに滞在し、ボランティア活動をしました。ご家族を亡くされた方もいましたが、現地の人たちは想像より明るかったです。たくましさを感じました。このたくましさがあれば復興も早いかもしれませんね。
以前よりさらにネパールが好きになりました。今後も同地の被災者支援のボランティアに関わっていこうと思います。
今回生きていたのは奇跡。死んでもおかしくなかった。でもまたエベレスト登頂に挑みたいです。
◆いとう・ばん
東京経済大学に通う19歳。これまでの日本人エベレスト最年少登頂記録は20歳。